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菊地裕介

Author:菊地裕介
菊地裕介プロフィール
1977年東京生まれ。1994年日本音楽コンクールで第2位。高校卒業と同時に渡仏し、パリ国立高等音楽院に入学。ローム・ミュージックファンデーションより助成を受け、高等課程を経てピアノ研究科を修了したほか、5つの一等賞を得てピアノの他に歌曲伴奏、作曲書法の高等課程を修了。2003年からはハノーファー音楽大学ソロクラスでさらに研鑽を積む。文化庁芸術家在外研修制度の助成を受け、2009年ドイツ国家演奏家資格を取得。
皆川紀子、加藤伸佳、ジャック・ルヴィエ、アリエ・ヴァルディの各氏に師事、マリア・カナルス、ポルト、プーランクコンクール優勝、またジュネーブ、ベートーヴェンなど、数多くの国際コンクールに入賞する。
2007年に東京藝術大学の講師に招かれ帰国後、「菊地裕介メシアン生誕100年プロジェクト・幼子イエスに注ぐ20のまなざし、アーメンの幻影全曲演奏」「横浜市招待国際ピアノ演奏会」「毎日ゾリステン」「東京オペラシティB→C」など精力的な活動を展開。2枚目のCDアルバム「B-A-CーH」(DENON)に収録された、バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番、ピアノ独奏版」は、ブゾーニ編の「シャコンヌ」に加えた独自の編曲により全曲を完成させたもので、全音楽譜出版社より自身の解説と校訂により出版された。また2010年にはオクタヴィア・レコード(TRITON)よりオール・シューマン・プログラムによる5枚目のアルバム「ダヴィッド同盟舞曲集」を発売し、収録曲の校訂譜も出版している。同年ベートーヴェンピアノソナタ全32曲録音を開始し、約2年間をかけて完結。また11年6月には2日間で全32曲を完奏するコンサートを名古屋にて成し遂げた。フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガル、チェコ、ポーランドといった欧州の多くの国々でリサイタルを開催、また多くのオーケストラと共演を重ねている。国内では東京交響楽団、東京都交響楽団、東フィル、東京シティフィル、仙台フィル、大阪シンフォニカーなどと共演。室内楽では清水和音、永野英樹とのピアノデュオやオーボエの巨匠モーリス・ブルグ、若手ではフルートの瀬尾和紀との共演など、いずれも好評を博している。2013年10月公益財団法人東京オペラシティ文化財団主催の没後50周年記念フランシス・プーランクの夕べに出演しこの公園が平成25年度文化庁芸術祭音楽部門優秀賞を受賞。
東京音楽大学で後進の指導に当たる。

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たましひのしらべかなでむたまゆらも・・・菊地裕介
クラシックピアニスト菊地裕介の 日常生活や演奏活動のご報告
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プーランク戦記(長いです)
以下は、去る12月7日から12月14日まで、
フランス南西部のリムーザン地方で行われたプーランク国際コンクールのご報告です。


12月5日
時差ボケを利用して早起き、昨日日本から持ってきた荷物をほどき、フランス行きの荷物に詰め替える・・・はずが思ったより寝坊してしまい結局荷造りはそこそこに練習を始めてしまった。案の定、出発前はおもちゃ箱をひっくり返したような大騒ぎ、乗り遅れると言いながらスーツケースを抱えて階段を駆け下りるのもいつもの事であるが、無事パリへ向けて出発。22時過ぎ友人のY君留守宅に到着、留守番のネコちゃんがとても可愛い。

12月6日
時差ボケは今頃になってあらわれ早朝起床、せっかくだからオーステルリッツ駅に列車のチケットを取りに行く。徒歩で散歩しながら戻り、途中でオレンジジュースとクロワッサンをゲット。9時から13時までみっちり練習、うん、どうにか間に合うかもしれない!家主のY君も激励に現れ、チョコレートくれました。Merci!
13時56分発の列車に乗るべく再度オーステルリッツ駅へ、そこでMr.Alinkに会ってしまう。彼もプーランクコンクールの視察に訪れるとのこと。この人が現れるコンクールでは、僕はぜったい入賞できないというジンクスがあるので、不安になる。
18時01分到着のはずの列車は15分ほど遅れてBriveの駅に到着、ここで多くの日本人参加者たちに出会う。ほとんどの人と以前どこかで会っている。世界は狭いなぁ。
本来、ここからローカル列車に乗りかえて本日の目的地Tulleへ行かなければならないはずなのだが、Alink氏をはじめ審査員様たち御一行さまが迎えを待っているのに紛れ込んでしまい、その列車を逃してしまう。幸い、審査員たちを迎えに来たスタッフに事情を説明したら、あとでもう一度来て会場まで送り届けてくれるとのこと、よかった!
Tulle到着、会場まで荷物ごと運んでもらい結果的にはこの方が楽だった。開会のレセプションには十分間に合い、出番は2日目の8日と知らされる、かなり後ろのほうの出番だ。参加者は少な目の16名、完全に消化試合のつもりでヤケクソで来たコンクールだが、こうなると少し欲が出てくる。
ホストファミリー・・のはずだったのだが、僕を迎えてくれたのはまだ30前と思われる女性、彼女のアパートの居間に泊めてくれるのだそうで・・・トイレとかは彼女の部屋に直結している。「遠慮しないでね」って言われても、普通はするよなぁ。まあでも時差ぼけも残り疲れていたのでほどなく就寝。

12月7日
まだ外は真っ暗だが起床。今日一日でどれだけ練習できるかで運命が決まる。
朝の8時には出発し歩いて25分の会場へ、「練習室下さい!」と、頼む。
この時間にはまだ人も少なく、首尾よくグランドピアノの部屋をゲットする。
一通り予選の曲をさらいなおす。どうにか最低限のレベルはクリアしたんじゃないだろうか、どうせさらいこむ時間もないことだし、あきらめも肝心だ。
周りに顰蹙を買うのも覚悟のうえで本選のプログラムをさらう。とにかく先のプログラムの暗譜すらできていないような状態では、やっぱり不安で他の曲にも身が入らないのだ。
結局昼食もとらずに9時間練習。夕食は日本人4人で中華料理店へ。

12月8日
午前中、偵察のため会場へ。とにかく音響の悪いホール。響きが全て吸われてしまう。皆、かなり苦戦している。
気を引き締めて練習会場へ。15時20分からの本番は体も強張り、ミスも相次ぎ、自分としてはかなり悪い出来ではあったが、条件の悪いこのホールで皆、苦戦していることを考えれば、コンクールとしては問題なかったかな?という程度。いちおう合格しセミファイナルの8人の中に。
弾いた直後はかなり落ち込んでいたけど、とりあえず、あわてて譜読みしたバッハプレリュードが割合うまく行ったことと、プーランクで止まらなかったことに感謝。

この日のプログラム
バッハ 平均律クラヴィーア曲集第2巻より前奏曲とフーガト短調
ショパン エチュード 作品25-11 「木枯らし」
プーランク 即興曲 第1番 ロ短調 第3番 ロ短調

12月9日
朝の7時45分に次の開催都市Briveに向けて参加者、審査員一同出発するとのこと。年寄りは朝が早くて困る。6時半に起床するがさすがにもう時差ボケの効果も薄れ、睡眠不足気味。それで今日の午後にはもうセミファイナルの本番なのだ。車は1時間弱でBriveに到着し、スーツケースのまま早速練習場所へ。眠いので、昼寝をすることも考えたが、15時40分の本番に間に合わせるためには中途半端なので断念。セミファイナルの曲もまだまだ暗譜が怪しい。だいいち曲数が異様に多い。昼食のために一時中断したが、本番直前まで踏ん張って練習。
本番は昨日よりずっと大きな会場であったが、音響はむしろさらに悪いくらい。やはり劇場というのはセリフを聞き取る必要性からか音を吸うようにできている。前半はポロポロとミスをやらかしながらどうにか止まらずに弾ききった、という程度。見せ場は外しまくるしガッカリ。ただ後半のベートーヴェンはやはり慣れた曲なのでようやく集中できた。時間のプロポーション的にはベートーヴェンが最も長いことだし、どうかそこを聴いていてくれれば!との思いで審査結果を待つ。
ファイナリストは3人、演奏順に名前を読み上げるとのこと、まずは一番目に弾いたわが同居人佐藤君(マイミクの「たかし」さんです。)の名前が呼ばれる、おめでとう!しかし、日本人枠は既にひとつ埋まったわけだ。緊張が走る。佐藤君の次、2番目に弾いたロシア人も呼ばれる。残りの6人のなかから一人、ああもう無理かな・・・と思ったら、Monsieur Yusuke Kikuchi! 呼ばれました。やったー!あきらめかけていただけに、自分でも思っていた以上に嬉しく、思わずガッツポーズでした。
軽食が与えられ、ここBriveでのホストファミリーのムッシューに出会う。これから3日間お世話になります。イヌ1匹とネコ2匹に迎えられる。個室に専用シャワーも与えられしばしリラックスのひとときが過ごせそうだ。
余談だが僕にとってのバッドラックの象徴Alink氏は最初の2日間のみの滞在でここBriveには来ておらず、それがツキを呼んだのかも・・・

この日のプログラム
スカルラッティ ソナタ ニ長調 K.96/L.465
アルベニス イベリア より 「エル・アルバイシン」
ストラヴィンスキー 練習曲 嬰ヘ長調 作品7-4
プーランク 間奏曲 変イ長調
プーランク プレスト 変ロ長調
ベートーヴェン ソナタ第32番ハ短調 作品111

12月10日
本選は11日、13日、14日に2つの都市の3つの会場で弾かなければならない、つまりここから先のほうが長いのだ。
今日は自由行動の日、現地の学校で9時間みっちりさらう。どうやら出口が見えてきた!

12月11日
午前中、学校で練習する。今日は、ほとんどが慣れた曲、きっとどうにかなるだろう。
昼寝のために家に戻り、夕刻再び目覚める、ゆっくり軽食を頂き、アップライトで指を慣らし、22時30分の本番に向け出陣!
今日の本番はおそらく今まででは一番まともだっただろう。それでも、会場の魔力かケアレスミスは頻発してしまったが・・・
出来はともかく、ソロの曲を全て弾き終えた解放感はとても大きなものがあった。(このときはまだ後にもう一度試練が待っていることを知らない)

この日のプログラム
プーランク 主題と変奏
武満 閉じた眼
スクリャービン 詩曲 「焔へ向かって」 作品72
ベートーヴェン ディアベリの主題による33の変奏曲 作品120

12月12日
今日も自由行動日だ。学校にこもり、主にプロコフィエフをさらう。この曲を詰めてさらうと、必ず爪が剥がれる。でも明日までの短期集中戦なら、どうにか乗り切れるかな?痛くなったら、プーランクに逃げる。昼食をはさんで、7時間弱の練習。明日は早いので、早めに切り上げる。

12月13日
朝8時に集合し最終都市のLimogesへ。車で1時間少々で到着する。さっそく練習会場へ向かい、指慣らしをした。11時30分に今日からお世話になるホストファミリーの人が迎えに来てくれる手はずになっている。荷解きをして、午後の合わせに再び出直してくる予定だった。ところが、どうもうまく連絡が行っていなかったらしく、時間通りマダムに会うことは出来たのだが、彼女も今日は日中演奏会があって、僕の送り迎えは出来そうにない、とのこと。うーん、どうしよう。と、一瞬迷ったが、結局会場付近にとどまることを決意した。昼食はロシア人君と近くのカフェへ。そして15時から第2ピアノのエマニュエル・メルシエ氏と合わせ。なかなか見事な伴奏をする人だ。(生意気?)それほど問題もなかったので、時間より早くお開きにして、余った時間に本番ピアノで練習させてもらう。
前述したとおり行き場もないので、調律サウンドをBGMにホールの客席で昼寝。筋肉がつりそうだったけど、どうにか多少の休息にはなった。
本番は20時スタートだった。僕の前に弾くロシア人君も同じプロコの3番。つまりロシア人が弾くロシア物のあとに自分が弾かなければいけないわけだ。プレッシャーは相当なものだった。おまけに、すこし遅れが出ていたせいで、僕は彼の演奏をバックステージで全て聴かなければならなかった。あまり芸術的とは言えないが、なかなか迫力と勢いのある演奏じゃないか?これは手ごわいかしらん?
それでも、ちゃんと自分の番はまわってくる。オケがバックであればきっとかぶって聞こえないであろうミスも、ピアノ伴奏ではきっと聞こえているだろう、ああどうしようなどと思いながらの演奏。ミスははっきり言って少なくなかった。その代わりロシア人君よりも情緒のある演奏を心がけたのだけど・・・どう出るだろう???
マダムとムッシューと2人とも聴きに来て下さった。お宅へ向かう車の中でこぼれ話。「あなた今日の聴衆の投票では1位だったのよ」うーん、審査には影響しないとはいえ、それはそれでうれしいじゃないか。
お宅はリモージュ郊外の広大な農場(49ha !)。2人ともパリ出身なのだが退職後こちらに越してきたのだとか、自家製の鴨のコンフィをごちそうになる。(鴨自体が自家製なのだ)メドックのワインにも良く合い、とても美味だった。結果、当夜は胸やけに悩まされるのだが・・・

この日のプログラム
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 作品26

12月14日
いよいよ最終日だ。これでこの綱渡り生活から解放される。それだけでもとても嬉しい。
朝の10時30分から合わせ、僕が最後ということもあり、オケの内部崩壊はほとんどなくて安心。 しかし、やはり細かいテンポ設定では食い違いが・・・それは十分修正されないまま、本番を迎えることになった。
昼食は一人でハンバーガー、本番前のハンバーガー率はどういうわけかとても高い。
14時開演、スピーカーから自分の弾く曲が聴こえてくる、前のロシア人はけっこうやらかしている、気が引き締まる。
本番では、テンポのずれが少々気になったものの、大きな事故はなくホッと一息。とにかく全てが終わったことがたまらなく嬉しい。
3人で市内観光がてらカフェに行き僕はビールをぐいとあおった。ちょうどジョッキを飲み干したところに電話が鳴る。皆、今すぐ会場へ戻って来い。とのこと。
3人で不安な気分で会場へ戻る。
今夜のセレモニーまで公式ではないが、結果を発表する、なぜなら優勝者はガラコンをしなければならない、準備も必要だろう、とのこと。
さあ、三位から発表だろうなと身構えていたら、いきなり 「一位は全会一致でムッシュー菊地に決まりました。」と、おおっ!やった、すごいじゃないか?と喜びがあふれるとともに、ガラコンへのプレッシャーが生まれる。
ディレクターのラギャルド氏
「じゃあ、今夜はこれとこれと、あああの曲も、そういえばこの曲も良かった」みたいな調子で次々と曲目指定。
僕は顔面蒼白です。楽譜も手元にないのに・・・前の記憶を追い出して無理やり次の曲を詰めこんでいたのに・・・あわててホストのマダムに迎えに来てもらい家へ戻り、ほんの一時間ばかりさらう。
そして長い表彰式が終わり、ガラコン本番。もうコンクールではないのでリラックスできるはずが、やはり1位のプレッシャーもあってかなり怪しい演奏・・・
それでもガラコンという場の雰囲気で客席は盛り上がり、アンコールを求められまったく往生してしまったけれど、記憶の糸をたどるようにモーツァルトを弾いた。結果的にはそれが一番まともな演奏だったかも。プレッシャーの重さを実感。モーツァルトをどんな風に弾こうとも、予定になかったんだから言い訳はいくらでもできるのだという安心感が、自然な演奏を引き出したのかも・・・

この日のプログラム
リモージュ・リムーザン地方交響楽団 ドミニク・ドゥルノー指揮
プーランク ピアノ協奏曲

ガラコンサート
スカルラッティ ソナタ ニ長調 K.96/L.465
アルベニス イベリア より 「エル・アルバイシン」
ストラヴィンスキー 練習曲 嬰ヘ長調 作品7-4
プーランク 間奏曲 変イ長調
プーランク 主題と変奏
プーランク プレスト 変ロ長調
モーツァルト ロンド K.494

12月15日
パリに寄って楽譜店など訪ね、マイミクのmakiちゃんとお茶したりして、夜遅くのフライトでハノーファーに帰還したわけであります。そして翌日倒れると・・・やれやれ。
あとは賞金の総額7500ユーロがいつ振り込まれるかが気になるところ。

まとめ
2000年のマリア・カナルス、2003年のポルトに次いで、規模は小さいコンクールながら3年ぶりの1位には感慨を覚えます。三年周期説かしらん?エンケ彗星のような。じゃあ2009年はどんなコンクールが?と思わずチェックしてしまいます。(もうやめろって?)
規模が小さいといっても、佐藤君は言うまでもなくとても優秀な方だし、ロシア人君も2005年のポルト1位。ファイナルに残るのはやはり大変なことでした。
最後まで読んでくださった方、一緒にため息ついてください。どうもありがとうございました。
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